「新しい生命の誕生」はあなたや、あなたの身近に起こる大切な問題として、どうか、このチラシを読んで下さい。今、先端医療技術として遺伝子診断、体外受精卵の着床前診断、臓器移植やクローンなどの情報が、マスコミを通じて私たちの社会に入ってきています。
しかし、ことばとして情報が氾濫しているわりに、これらの先端医療技術が人の意識にどんな影響を及ぼすのか、本当に自分達の生活を守るものなのか、「命そのもの」を大切にするものなのか、という論議は私たちに届いてきません。
お母さんのおなかの中で、生まれてこようと成長している胎児を調べて、障害や病気があるかないかを検査する出生前診断と呼ばれる技術がいくつかあります。そして、最近、この検査をすることを、妊婦にあおるような動きがあります。また、出生前診断技術のひとつである体外受精卵の著床前診断の実施が承認されようとしています。法律の中に「重くて治療法のない病気や障書を理由に人工妊娠中絶できる」という内容の条項を加えようとする動きもあります。やむを得ない事情での妊娠の中絶は、これまでの法律でも充分に可能であるにもかかわらずです。
障害や病気を持つという、誰にでも起こる可能性のあることがらを、中絶してももいい命、生まれない方がいい命として法律に書き込むことが、どういうことなのか、私たちの意識に何をもたらすのか、少し歩みを止めて考えて頂きたいのです。生まれていい命、生まれない方がいい命などと、人間の価値観にかかわることを、国や学会が決めてよいのでしょうか?
障害を持った子と毎日を暮らしている私たちは、検査など受けずに、または検査で障害があるとわかっても、子どもを産んだことを後悔などしていません。生まれてきてくれたことに、感謝の気持ちを抱いています。この世に生を受けることの意味や喜びを見出すことに力を貸してくれたのは、検査で分かっていれば中絶されたかも知れない、他ならぬこの子ども達です。「子どもは授かりもの」だと私たちは実感しているのです。
現在、すすめられようとしている「出生前診断」や、「障害のある胎児は中絶できる」と法律に盛り込むことは、妊娠や出産への不安をよりかきたて、親が子どもへそそぐ「命そのものをいとおしむ気持ち」を育てはしないでしょう。 そして、胎児に障害があったからという理由での妊娠中絶は、親に深い心の傷を残します。その診断技術が役立つとしたら、それは治療につながる場合と、遭伝的な不安があって産む勇気が持てない親に出産の勇気を与える場合のみだと思います。積極的に障害や病気を見つけて産まないようにする技術が、はたして医療といえるのでしょうか?
先端医療技術の使い方を間違えるならば、私たちの大切にしたい「命そのものをいとおしむ文化」は、その色を失ってしまうでしょう。
「障害が不幸」なのではなく「障害を不幸だとする社会こそ不幸」なのです。
「出生前診断」のことや、「人工妊娠中絶に関する法律」のことを新聞などで引こされたら、是非このチラシのことを思い出して、その動きを注目して見つめ、どうか一人一人がご自分なりの「待った!」の声をあげてください。
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